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青く澄み渡る


“青く澄み渡る”



今日の予定としてはマカロニグラタンを夕食のメインにするつもりだった。
薄く切った玉ねぎと小麦粉を炒めて、クリームソースを作り、茹でたマカロニと和えて。
あのとろりとしたグラタンを想像していたのに、その味は私の納得いくところじゃなくて裕人さんから貰った耐熱皿ごと床に叩き付けた。

裕人さんは帰ってきて、床に散らばった食器の破片とクリームソースを見て、目をぱちぱちとした。
「嫌になっちゃったの?」

彼はいつだって優しい。仕事から帰ってきてそんな悲惨な状態が広がっているにも関わらず、私を責めるようなことは何も言わない。
「和美ちゃん、今日はグラタンが食べたかったの?」
私がぐずぐずと涙を流していると、裕人さんは床に座り込んでいる私の隣に屈んで聞いた。
小さく首を縦に振ると、裕人さんは短くふふ、と笑った。
「じゃあ、今日は近くのお店で美味しいグラタンを食べよう。今度はそれを真似て作ってみたら良いんじゃないかな。」
私が情けなく見上げると、裕人さんは眉を少し寄せて笑って見せた。この目の前の惨状を片付けろだとか、自分が贈った食器が木端微塵であることとか、裕人さんは触れなかった。

私が店でグラタンではなく、ミートソーススパゲティを頼んだことにも何も言わなかったし、再度襲ってくる情けなさにしゃくりあげながら泣いても彼は笑顔で私の隣にいた。

裕人さんは私よりも5歳年上で、友人の紹介で知り合った。その頃から情緒不安定だった私は、底抜けに明るい裕人さんを見て全くお近づきになれない人だと感じた。裕人さんは人当たりが良く、いつも笑顔の輪の中心にいるような人だった。紹介した友人である美樹は「和美みたいな性格には裕人くんくらい明るい人が良いのよ」と、積極的に会う機会を与えてくれた。当時はお節介だ、住む世界が違うなどと本気で拒んでいたが、今となってみればありがたい話だったのだ。

裕人さんは私の子どもっぽいところが好きなのだといつも言う。この情緒不安定さをそういっているだけなのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。
「和美ちゃんは感受性豊かなんだ、僕よりも沢山のことを感じ取れる」
羨ましいよ、と彼はいう。
私はいつもそんな彼の優しさに対して申し訳なくなってしまうのだ。

1LDKのあまり大きくはないアパートの一室。壁にはお気に入りの風景画を飾っている。
青が綺麗な湖の絵だ。
その絵を眺めていると私が遠い外国の綺麗な青い湖のほとりにいるような気持ちになる。体の中にまで澄んだ空気が染み渡って、裕人さんが言うような少女になれているようだ。
私はその絵を1日に何分間も眺めている。くすんでいく、汚れていく自分を浄化するように。

2人で住むと決めたときに買った、狭い部屋には不釣り合いなL字型のソファに腰掛ける。洗濯も食器洗いも済ませた。掃除は少ししかしていないが、やらないよりはいいだろうと自分に言い訳をする。
裕人さんが帰ってくるまで、私は2人には狭くて1人には心細く感じるほど広い部屋に1人だ。

早く帰ってこないかしら、と私はぽっとでお湯を沸かす。